佐賀西高 訪問
2016年6月12日 |校長だより
佐賀西高、訪問
「その時、日本は佐賀を見ていた。佐賀は、世界を見ていた。」
佐賀城本丸歴史館のリーフレットの表紙中央に小さくさりげなく記された言葉ですが、日本の近代の幕開けではまさにその通りで、控えめながらではありますが、佐賀県の方々の進取の気概を強く感じました。6月10日、第35回九州地区関係高等学校連絡協議会で佐賀西高等学校を訪問しました。佐賀西高等学校の140年以上の歴史はその佐賀城の地から始まっています。現在の4階建ての学び舎は下の階からベージュに、そして白色、屋上近くが2色の淡いモスグリーンとその縁取り。この淡い色彩の校舎に囲まれた中庭には緑の樹木が茂り適度な木陰を作っていました。本校と同じほどの年月を経た建物と思われましたが、古いものを大切にしながらも、今風に使いやすくリフォームするという心配りを感じました。廊下や教室の棚はすっきりとして、どの教室左前方にも大きな電子黒板があり、ほとんどの授業はこの電子黒板を巧みに活用した授業が展開されていました。宮崎西高の先生方も多数見学させてもらい、その後、九州各県の先生方ととも難関大学を意識した進学指導や日頃の授業の在り方等について情報交換や研究協議を行いました。この成果は今後本校の生徒の皆さんにも大いに還元されることと思います。
「その時、日本は佐賀を見ていた。佐賀は、世界を見ていた。」
佐賀城本丸歴史館のリーフレットの表紙中央に小さくさりげなく記された言葉ですが、日本の近代の幕開けではまさにその通りで、控えめながらではありますが、佐賀県の方々の進取の気概を強く感じました。6月10日、第35回九州地区関係高等学校連絡協議会で佐賀西高等学校を訪問しました。佐賀西高等学校の140年以上の歴史はその佐賀城の地から始まっています。現在の4階建ての学び舎は下の階からベージュに、そして白色、屋上近くが2色の淡いモスグリーンとその縁取り。この淡い色彩の校舎に囲まれた中庭には緑の樹木が茂り適度な木陰を作っていました。本校と同じほどの年月を経た建物と思われましたが、古いものを大切にしながらも、今風に使いやすくリフォームするという心配りを感じました。廊下や教室の棚はすっきりとして、どの教室左前方にも大きな電子黒板があり、ほとんどの授業はこの電子黒板を巧みに活用した授業が展開されていました。宮崎西高の先生方も多数見学させてもらい、その後、九州各県の先生方ととも難関大学を意識した進学指導や日頃の授業の在り方等について情報交換や研究協議を行いました。この成果は今後本校の生徒の皆さんにも大いに還元されることと思います。